一体どっちだ
夕顔さんが”両方言っておくからややこしい”と書かれていた。
自身と周りの受け取り方が違うのが、在籍中はかすかに、退会してからは尚更疑問で仕方がなかった。特に講師や幹部といわれる深い信者との。長年やっている人は過去に別の教えを聞かされていたのだろうか、いやしかし「昔と話は全く変わらない」と新聞や機関誌にもよく書かれてあったが・(それも嘘であったが)
「両方言っておく」というよくわからない話をする。(これをわかりやすいと絶賛する感想文を多数紹介したがるのは、奥底に本当はよくわからない話だということを無意識に隠したいということがある)
只今助かる←[?]→十年や二十年聞いて助かるものでない
0点か100点しかない←[?]→0点にもいろいろあって同じではない(信仰が進むということがある、0点の中に0点〜99点がある←0点以外にもあると言っているのと同じ)
無条件で助かる←[?]→宿善が必要
無常迅速の機、一念往生←[?]→三願転入の過程
直ちに自力を捨てよ←[?]→自力一杯求めます(言ってはいけないと禁句になった)
財施はあくまでご報謝←[?]→宿善になる
その他諸々
(三願転入の話は私自身はあまり聞いていない。
「自力いっぱい求めます」という言い方はお礼状に書く人が多くあって(やはりそう受け止められる話をされていた)、それは間違いだから言わないようにと通達があった。
お金についてはもちろん「財施しないと助からない」などと言うことはないが、「財施が救いの足しになるとは思っていない人」は何人あったのだろう。
そうとしか思えないにしてもそれを捨てるべきとわかっているにしても、直ちに捨てようとする人はいない。
捨てられるときが来るまではやるしかない,しかもたくさんやれば早く捨てられる時がくると思っている人ばかりで、それではいつまでたっても捨てられないのである。)
右と左の異なる話。
いや、右を経てから左へ行くので矛盾しませんという人は仮に仏教であっても自力の仏教であろう。