座らされて動けなかった、しかし
浄土真宗の本当の救い
というものに心が向いてさえいれば、
向いていなくてもなにかのきっかけで向かうことができれば、
遅かれ早かれ、自分の中で正しいと思っていたあの独創教義は破綻して、間違いにも気づくが、
もう全く別のところに向かってしまって、
絶対の幸福(という幻)を求め(続けて)ているという今現在の状態が、
もうこれ以上ない幸とばかりに、
”これからも真剣に求め(続け)ます”(←一生求道宣言)
とそこから動こうとしないから、
つまり自力の極みと気付かせない(で利用する)のだから、
そうなるともうその状態から離れるのは難しい。
しかし何がきっかけとなるかは分からない。
光明ははたらき続けているのだ。