日本語もわからなくなり
文章が読めなくなる。
日本語が通じない。
これは私自身あの中にいて感じられていった(しかもひどくなっていった)ことであるが、久々にまざまざと実例を見てここまでとは驚きを禁じ得ない。
どうしてそうなるかはまた考えるとして、
当たり前の話であるが、理解力と国語力は相互に作用している。(余談であるが、この”関係性”ということも、カルト信者にはさっぱりわからなくなることの一つである)
理解力がなければその次段階である判断など尚更困難である。
言語で伝え合うのであるから、まともな国語力がなくなればまともな理解もできない。
普通の国語力がなくなれば、コミュニケーションも困難である。日本語が通じないというのはこのことである。
しかしこのような状態が都合がよいことがある。
国語力の無くなった、お互いに暗号のような変わった話で通じあい、曖昧なよくわからない話をしておいて、都合が悪くなれば「聞き誤りだ」と言っておけばいい。
理解力がなくなるから自分で判断することもなくなり、益々教祖教団への依存を強めていく。自分の頭で考えることを放棄し、自分では判断できないから言われるとおりに盲従するのが最善だと考えるようになる。
(しかもその状態であることの自覚はない。)
読解力も国語力もなくなるから内部の機関誌等を読まなくなるし、読んだとしてもおかしさに気付けないからやめられない。
教祖の話が変わってきていることにも気づかないし、教祖の歪んだ国語力と同化しているのでそのおかしさにももはや気づくこともできない。
せっかく外部の人がそのおかしさを指摘しても話が理解できないからやっぱり気づかない。
人間としての知性を全部奪われるのである。
そうなるともう教祖側はやりたい放題である。
何を言おうが騙され続けてくれる。
思いのままに信者を操ることができる。
こうしてセクト教団ができるのである。