”信者”のこころ〜なぜ騙され続けたのか〜

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その1〜「事実でないことを事実と思っている」という事実

 認知症の人は、事実でないことを言うことがある。

自分がしまいわすれた財布を盗まれたとか、食べた食事を食べていないと言ったりすることである。私の身内もそうであった。

 

客観的に見れば、財布を盗まれたことも、食事を食べていないことも事実ではない。

 

しかしこの中に事実がある。

「この人はこのように言っている(あるいは思っている、感じている)」という事実である。

 

そこでカルト教団の信者についての現実・事実である。 

 

教祖に従っていくより他はない。

(間違いに対して)教祖はそんなことは言っていない。

教祖にも間違いはあるだろうけど構わない。

等々。

 

教祖を信じてきたことを否定したくないがために、疑問が起こりそうなときに発動する心はこんなところではないだろうか。

 

この中で問題が深いと思うのは2番目である。

本当に教祖自身は信者には言っていない(信者側が直接は聞いていない)場合がある。

もちろん言っていないからいいという意味ではない。むしろ逆である。

自分で言わずに周りに言わせる、思わせる、といった手法で自らの手は汚さず、責任は側近や聞いた者に押し付け、逃げ道を用意しておくというやり方をする。

 

やっかいなのは、それによって信者側には根深い問題が起こっているということである。

言われていないことを現実には「信じている」のである。

間違いと知りながら「そうなっている」という事実もある。

 

信者側は二つの心を保つことで教祖や教えの矛盾を自分の中で正当化し続けるのである。 

 

どうしてそうなるのか理由にはいろいろなパターンが絡み合っている。

  

 



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