間違った話に一時的な安心を得るという信仰を続けてやめられない
一度掴んだ、
「選ばれた信者として、欲と怒りと戦って”求道”していればいつか絶対の幸福が得られる」
という一種の信心は、容易には手放せない。
こちらのほうが信じ易いからである。
但しその安心も一時的である。
だから今日も聴きに来られたからと少し安心するが、それでもまだまだ、でも聞かせてもらえるから幸せだと安心を言い聞かせて、また頑張ってみるけどやっぱりだめで、そんな簡単じゃないんだなやっぱりと益々疑いを深めるばかり、向かうべきところに背を向けて、全く方向違いであった。
一生、その刹那の安心を追いかけ続ける入学もなければ卒業もない一生求道の教えが、カルト教団の信者の道であった。(そもそも、卒業なのか)