それでも抜けられたのは
私は元々カルト教団を一人で抜けられるような人間ではなかった。
それでもできたのは、本当の救いを求める気持ちのほうが強かったからだ。
つまりは、如来様の力が強かったということだ。
なるべく面倒なことは避けて抜けたつもりだが、それでも多少のゴタゴタで嫌な思いもしたし、後から酷いことを教団内で言われていることを人づてに聞いたりもしたが、元信者仲間に対しては、怒りよりも未だに騙され続けていることへのもどかしさのほうが大きかった。
かつての私なら耐えられなかったかも知れないと思うと、これもまた不思議である。
心の底に歓びが常にあって大きいからである。
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メールありがとうございました。