”信者”のこころ〜なぜ騙され続けたのか〜

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ベテラン信者の”求道”とは

信者からの手紙の中には、「◯◯さん(私)のことを想っている」との文面があった。

私の何を想っているのだろうか?

一ミリも想ってもらう必要はないのであるが。

何しろ、久遠のはるか昔から想ってくださったはたらきが今私に届き続けているのである。

 

私のことを想う暇があるのならば、自分のこと、あるいは私を想ってくださる仏様のことを少しでも考えたらどうかと思う。

 

漫然と騙されて続けて、求道という刹那の安心に座らされていることを考えてみたことはあるのだろうか。

 

その人は、かつて「求道」とは何かという私の問いに対して、「善知識を信じる心」と答えた。(ここでいう求道とは、その教団での救いの完成を求めることを指す)

「求道」を「心」というところからして既に意味不明なのであるが、求道の完成が平生業成だというのであるから、この人の求道の完成は善知識を信じる心の完成ということになる。だから、平生業成ができるわけがないので、現実には一生求道となっているという実態である。

善知識だのみの完成という、本来の平生業成とはまるで正反対のものを目指しているのだから、呆れを通り越して、言葉が見つからない。



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