教祖の悪知恵を信者達は知らない
コメントありがとうございます。
https://pontawa.hatenablog.com/entry/2019/05/15/100135
教祖は悪知恵は働くのでいつも逃げ道は作っていますよ。
追及されたら「ワシャそんなこと言っとらん」です。
善をしたら救われるとは決して言いません。「それをどう解釈してもらっても構わない」が教祖の言い草です。
弟子が「善をしたら救われる」かのように言うのは教祖の心も解っていないからです。
ご説明しますと、教祖の言動からは「廃悪修善で後生の一大事の解決ができる」とも「ご恩報謝しよう」ともさらさら思っていないと合理的に推測できます。
つまり、教祖の心は「信者をだましてお布施を取ろう」です。
「善をしなければ信仰は進まない」と勧める弟子たち自身が命を削って教祖の言う「善」を実行しています。「なぜそれをするのか」「なぜさせられているのか」が解っていないからこそあそこまで必死になれるのです。
教祖の思いは自分の欲を満たすことだけです。
一方の弟子の思いは「先生はお優しい方で、私たちのためにご指導くださっている(厳しい言葉も徹骨の慈悲)」です。
全くわかっていません。グロテスクな見世物ですよ。
悪知恵の働く教祖は、「廃悪修繕で後生の一大事が解決できると言っては間違い」ということはわかっているので、違う言い方でそう思わざるを得ないように、信者たちを導くのである。例えば
・信仰が進む
・光に向かって進む
・観念の遊戯では駄目
・実地で知らされなければならない
・宿善の話
等々である。
教祖の欲とは何であろうか。
おそらく自己の心と真摯に向き合うということもなく、コロコロ変わる言動はいつも衝動的なものである。
表面的には組織拡大、それは真実開顕のためであるという大義名分を根拠として、とにかく組織を大きくしたかったことは事実であろう。
そこまでして大きくしたいのはなぜなのだろうか。
自分を認めなかった集団への恨みか、教祖様として崇められたい欲望からなのか、それはわからない。
ただ言えることは、小さな人間ほど自分を大きく見せたがるということだ。
そんな教祖を私は
「先生はお優しい方で、私たちのためにご指導くださっている(厳しい言葉も徹骨の慈悲)」
と信じていたのである。どうしてそうなったのか次回考えてみたい。