”信者”のこころ〜なぜ騙され続けたのか〜

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信者という言葉

私がかつて所属していた教団(言うのも恥ずかしい教団)の本来の教えでは”信者”という言い方はしない。

 

しん‐じゃ【信者】

 
 ある宗教に対し信仰をもつ者。また、その宗教集団の成員。信徒。
 ある人物に傾倒して、その言説思想などを熱心に信奉する人。

https://kotobank.jp/word/%E4%BF%A1%E8%80%85-537669 から引用

 

昨今の言葉の使い方では2の意味に「盲信」「熱狂」「扇動」の意味も加わって、揶揄をして使う場合が多いように思う。宗教だけでなく、怪しげな自己啓発セミナーやセラピスト、あるいは各界のカリスマ、SNSならインフルエンサーのファンの中でも熱狂的になると「信者」と言って揶揄される、そんな意味合いが強い。

 

しかし、私はたまたまかつてその教団において「信者」と使っている場面にあった。

 その人は、古参の「会員」(当時はこう呼ぶのが正しいとされた)であったが、なかなか不思議な人で、私から見て熱心には見えなかった。

熱心に見えなかったというのは、いわゆる「幹部」のように、献身的に活動をしている人ではなかったのである。古い人ならそれなりに、そうなっていくのが普通であるのに、それがなかったのが不思議であった。

その教団のヒエラルヒーは、活動にどれだけ熱心であるかによって構成されていたから、それほど熱心でないこの人物が、教団内では大切にされているのは、創成期の大きな寄進に関わった人物だからだということを後から知って納得した。

 

さほど活動にも熱心ではなかった様子だったが、寄進によっていつも教団からは褒められる対象となり、活動しなくてもチヤホヤされていたのである。だから教団の「教学」と呼ばれる「独自の教え」もさほど身についてはいないようであり、教団用語も使いこなしていなかったのであろう。大きな行事においてその人は、

「このような節目を迎えて〜〜(云々)。会長先生のごオン〜〜(云々)。

だからもっと信者を増やさにゃならん。」

と大真面目に発言されたので、その場で聴いていた全員、心の中で(信者って・・信者って言わんやろ)とツッコミを入れているような、おかしな雰囲気になってしまった。本来なら盛り上がらなければいけないところで、シラけた空気が流れてしまったのである。(まあいつも盛り上がっていたのは一部だけであとは形だけだったような気もするが)

 

 もちろん、その人は単純に上の辞書で言うなら1の意味で悪気なく使ったのであろう、自分たちを揶揄するようなつもりは無かったのであるが、その瞬間、何とも言えない空気が流れたのが忘れられない。絶対駄目なわけじゃないが、ものすごく気持ち悪いことをされた気分だったのである。

 

つまり、言ってはならないことを言ったという意味ではなく、当時、その中において、私も含めたその集団が自分たちの用語でない言葉を使うこと自体に、ものすごく違和感を持っていた、ということを、改めて思い返している。

 

もちろん、どの集団においても固有の用語というものは存在する。それが存在するからと言ってただちにその集団がカルト的集団だとは思わない。

 

ただ、カルトにおける独自の用語というものは、それが繰り返し狭い集団の中で独特の場面で連呼されることによって、次第に本来の意味や使われ方とは大きく乖離し、独自の意味を持って暗号のように機能するということに注意しなければならない。

 



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