求道とは別のことをさせられている信者達
コメントをありがとうございます。
https://pontawa.hatenablog.com/entry/2019/07/02/145711
「保身と責任転嫁」は、活動に深くコミットした人の実感なのでしょう。
組織の中で生き残りを図るあり方を、私は(組織の中での)世渡りだと感じていました。
ぴーさんが「世渡り」と書かれたのはそういう意味だったのですね。
私は反対に、そのままの普通の社会の意味と捉えていたので、講師というのはある意味出家のような世捨て人のはずなので、世渡りからは離れていると思っていたのでぴんときませんでしたが、これで納得できました。
私は、教団の中においても、その中での世渡り(保身)など考えないで純粋に求めている人が講師だと思っていたので、前の記事に書いたようなあからさまな保身を初めて感じたので、それまでなかった不審を感じたのだと思います。組織で通達されることも、どんどんおかしくなっていた頃でした。
信仰上、真実の自己に出会うことは最も重要なことのはずでした。
何となれば、真実の自己を知らされた時こそ救いの光に照らし抜かれる瞬間であるという教えだったからです。
それなのに、本当の自分を押し殺して建前を言っている状態で求道になるのだろうか?という疑問が徐々に膨らんで、脱会のきっかけにもなりました。
私は、「◯に向かって」という書籍が出され、内容を推奨されることに同じような疑問を抱いていました。
極悪最下の悪人が本当の姿であり、そうと見よというのに、本の内容はそれとは真逆の善い人間になれという話。いわば闇に向かってダダ走りしているのが私だから助かりたいのに、意味が分かりませんでした。まあそもそもこの本もアレですから、これも救いに遭わせるために書いたのではなく信者を利用するために適当に盗んだだけなんで、当然といえば当然だったのですが。
そうです。あそこで、本当の求道をしている人などいなかったのです。
求道とは別のことを求道のように見せかけられてさせられていた、私もそんな信者達の一人でした。