”信者”のこころ〜なぜ騙され続けたのか〜

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3行どころか単語すら読めなくなる

言葉の問題からカルト信者のこころを考えてきたが、

なぜカルト教団の信者になると文章が読めなくなるのか。

読めなくなるとはどういうことなのか。

見えてきたのではないだろうか。

 

カルト教団では根本聖典に対する教団独自の解釈というものがあって、それは日本語として普通に読んだものではないということなのだ。

 

言い換えれば、教祖によって歪められた教えは、根本聖典を「普通に読んではいけない」ものなのだ。

 

例えば先に出した、「捨てる」、この簡単な意味の単語であるが、

教団では「ただ捨てる」「今捨てる」という普通の意味ではない。

こう普通に読むと教団の教えは理解不能、矛盾になる。

 

だから信者の心は、「この捨てるとはどういう意味ですか?教祖様」ということになる。

 

単語一つとっても、

自分には意味がわからない、

つまり自分には読めないのだから、

教祖にその読み方、意味の指示を仰がなくてはいけない、

と、こういう思想なのである。

 

すべてにおいてこうなのだ。

 

だから、信者の多くはお聖教を自分で読もうとしないのである。読んでも自分にわかるはずがないし、読んではいけないと思っている。

 

だから実際に行為として読もうとしないのと、読んでも自分の頭で読もうとしないのと、読んだとしても脳を停止させフィルターをつけて読む癖がついているから見たことがあるものはフィルターをとおした間違った内容で読み、見たことがないものは内容が理解できないという訳である。

 

教祖だけが経典を正しく読むことができ正しく伝えられる唯一の人間と騙されて、教祖フィルターを通された言葉だけでお聖教の言葉を読んでいるのである。

 

その曲げられた教えを刷り込まれているだけなので、議論しようにもそれを一方的に繰り返すのみである。

 

確かに、お聖教は自分勝手な解釈で読んではいけないものではあるが、

自分の頭で読んではいけない、しかもたった一人の教団トップの解釈にすべて依存しろというのが如何に馬鹿げており危険かということが、信者の書いたコメントや文章を見ていてもよくわかる。

 

馬鹿な私は教祖が正しく読んで解釈してくれるのだから、自分では読まずにそれをただ聞かせてもらえば大丈夫と信じていたのだが、それは解釈とも言えない程のでたらめであった。

 



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