信心より化城となっていることに気付かない
「信心より、普通に、化城が好き」
「信心より、普通に、求道が好き」
「そんなもの化城(自力信心)だ!」ってわめくの、好きですよね。でも
・私は化城には入っていない!(から大丈夫だ)
・私は化城には入らず求道している!(から大丈夫だ)
・化城より未信のほうがマシだ。
これ、ガチガチの、化城ですから。
化城もわからない人に、化城とか言って欲しくないですね。
特に三つ目。なぜあんなに威張り散らすことができるのか不思議に思いますが、これがあるからです。求道している自分が一番偉いと思っている。(あれは求道じゃないんですけどね、それを言われると何十年を否定(無駄を知ら)されることになりますから、真っ赤になって怒ります)。棚にあげるどころか、最初の”目的”とやらもどこへやら、特に悪いですね。
何十年、化城自力信心に座って気づいてないの、あなたですよ。
(「ならわかるように教えてよ」、と言われても、「疑問も持ってない相手には」教えないほうがいいです。彼らは教えてもらおうなんて思ってません。とんでもない屁理屈で難癖いちゃもんつけるのが目的ですから、意味がないです。それに付き合う義務はありません。)