「ワシがいたら、手~の一本や二本、かち折っとる!」
「手~の一本や二本、かち折っとる!」のところで吹き出して爆笑。
なんか親鸞聖人とか出てきますが、浄土真宗を馬鹿にしたコントの一場面ですかこれ。
・・だったら笑っちゃいけないか。
「講師部は、入るのも、出るのも自由か。それを許すっておいていいのか。そんな講師部であっていいのか」ということ、で、「検討せよ」とおっしゃいました。そして、お聞きしたんですが、非常に、厳しく、「こんな程度のものを、君たちは信仰の表れだ」と、こうおっしゃって、「あの時に、やっている・・者ですね、ワシがいたら、手~の一本や二本、かち折っとる!この会館から、絶対出させん!ワシがいなかったから、生きて帰れてよかったと思わなきゃいかん」ということをおっしゃいまして、「蓮如上人の、お言葉知っておるのか。切り刻みてもあくかよ。あいつはもう~切り刻んでも、名前を、はっきり、浄祐と挙げて、切り刻んでも、あくかよ。君達でもー、切り刻んでもやりたいというの、いるやろ。だけどそれ言えるか。言えん、だろ。それはもう、なんちゅう恐ろしいこと思っとる人やと思う、われるから言わん、ので、でも蓮如上人、はっきり、そういうことおっしゃっている。お弟子も、書き残しておられる。それには、誹謗している者、辞めてった者はいろいろいるけれども、そのどんな、あ、者に対して、そういう風におっしゃったのか。んなもんわかるやろ。それは、誹謗している者だけではなく、結局、どうしてもやむを得ない事情で、辞めた、者、以外に、おっしゃっている。だからあたかも、しんぎょう坊が去っていくその後ろ姿を、親鸞聖人が、手を合わせられて、どこ、へ行ってでも弥陀の本願、求めてくれよと、こんなようなことを真似を、しようと思っているかも知れん、それはもう全く違うんだ、そんな、真似できるようなものではなくて、まず君達は、親鸞聖人のそんなねえ真似ではなくて、蓮如上人に近づかなきゃならん。その上で、親鸞聖人はああいう風になされた、んな、ワシならもう、手や、一本二本、かち折ってでも」ということ何回も、おっしゃいました。「そういう邪に対する怒り、悪に対する怒りが、信仰の表れなんだ」