”信者”のこころ〜なぜ騙され続けたのか〜

無関係なコメントや不特定多数の方に不快と思われるようなコメントは削除させて頂きますのでご了承ください

いつかいつかで何十年。功罪があるといっても罪の面が圧倒的に大きい。

前々の記事で、いろいろな救いがあるということを述べたのであるが、

飛雲様のコメント欄にそのことをうまく表現されているものがあった。

>「会員は成仏を目指していませんし、浄土往生を願ってはいません」

まさにその通りですね。
他でもない会員自身が「光に向かって進ませて頂きます」で完結してしまってるんですから。

善(?)に励みつつ「光に向かって進んでいる」という状態を維持させ続ける会と、
善(?)に励みつつ「光に向かって進んでいる」という状態で満足し続ける会員とで
成り立っているといってもいいんではないでしょうか。

投稿: | 2012717 (火) 1333

親鸞会は仏教か?: 飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~ から

 

信者は「善に励みながら光に向かって進んでいる(いつか救われる)」という一つの救いの形に満足しているという状態である。

そして会はそこに留まらせるという、共依存の関係である。

 

こういう心に対して、正しい知識方のおさとしは常に「”いつか救われる”の救いで留まってはいけない」であった。

 

「”いつか救われる”と求めたからそれが叶って救われた」のではないのだ。

 

私はたまたま間違いに気づいて抜けることができた。

しかし偽の救いに留まらされて何十年、もっと切実に求めながら遂げられなかった方もある。宗教なんて仏教なんてもうぱっぴらろくでもないものだというトラウマだけが残ってしまった方もある。騙されたほうも悪いと言えばそれまでだが、騙すほうが一番悪いということは言うまでもないことだ。

騙すほうはそれをやめることはないだろう、ならば一刻も早く騙されることから脱却されることを願うばかりである。

 



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