間違っていてもそれはすべて信の一念で正しくなるという妄想(マインド・コントロール)
カルト信者に間違いを指摘しても響かない理由の一つに、間違いの正当化がある。
いろいろなパターンがあるので一つひとつ思い出してみる。
究極的には、
・間違いがあっても仕方ない。
・間違いがあっても当然、なぜなら
・信の一念まではすべて間違い(間違えているから救われない)なわけで、
・正しくなったとき(信の一念)で救われるのだから。
というものであった。(当然、全部大間違いである)
こうなるともう何でもアリである。
論証もへったくれも無い、おかしいと思っても信の一念までやれ、そしたらわかるから、である。
要するに先送りである。
しかし、おかしなことはおかしいままなので、このおかしな信念をつかんでいては、結局訪れるはずのすべてが正しくなるはず信の一念など幻で、やってこないのである。