”信者”のこころ〜なぜ騙され続けたのか〜

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信者のこころも色々〜ぴーさんの場合と私の場合〜

コメントをありがとうございます。

  

  • ぴー

    私もおかしな発音や言い回しが染み付いてしまってまだ抜けきっていません。困ったものです。
    会員だったころ、「信者を増やさにゃー」とか普通に言って来る人がいると、会員としてはどうかと思いましたけれど、どこかほっとしている自分もいましたね。「普通の人もいるんだ!」と。

  • id:pontawa

    >どこかほっとしている自分もいましたね。「普通の人もいるんだ!」と。

    ぴーさんはそうでしたか。
    会員=普通の人じゃない という感覚もお持ちだったのですね?
    つまり、「おかしな発言や言い回しをする会員」は普通ではない、一般とは離れた人たち であると。

    その中に普通の人を見つけてほっとした(安心した)というのは、どういうことなんでしょう。

    (私は「まだ縁の浅い人」(これも独特の変な言い方です)なんだなあと思うか、ここに書いたように何年もいるのにその言葉遣いは違うよなと思うだけでした。)

  • ぴー

    若い頃は言語表現などに強い思い入れがあり、言葉遣いを工夫していました。そのせいもあってか、教団独特の用語には最初から違和感がありました。
    勧誘されて暫くたったころから先輩たちの言動に違和感を覚え始めたものの、教えや信仰については信じていたので、後生の一大事の解決のためにはこの環境に慣れるしかないのだと思いました。そして独特の用語を身に着けていきました。しかし、結局退会する日までその違和感は無くなりませんでした。
    折角正しい(と当時思っていた)教えを聞いているのに、言動が普通ではない人達を残念に思ったし、教団で活動する時の自分と、学校や職場での自分は言葉遣いも違うのです。
    なぜそんな使い分けをしなければ真実の教えを求められないのだろう、と不審に思っていたのですね。
    真実の(と思っていた)教団でも「普通の」自分で居たい、という思いから、「普通の」言動をする人を見てほっとしたのだと思います。
    今思えば、自分自身も含めて、独特の用語を身に着けるという行為自体が世渡りであり、世渡る人ばかりの組織だったと思います。
    後生の一大事や仏法への真摯な思いなどどこへ行ってしまっていたのでしょうね。

 

自分の経験を客観視するに当たって、他の方の話というのは参考になる。ポイントは、異なる部分と共通する部分だ。同じカルト教団に属していても、立場や時期や所属年数が異なれば当然経験や感じ方も異なるが、どこかに惹かれてのめり込み、やがてどこかに疑問を感じて最後は誤りと知り決別という点では共通である。そしてさらにその共通の流れの中でも、惹かれたところや疑問に思ったきっかけや内容が、教えのことだったり組織のことであったり人のことであったりといった違いがある。

つまり、人によって異なる部分にも共通して繋がる部分があり、逆に言えば共通する根っこがあっても枝葉は異なっているものなのだ。そこにあった”自分のこころ”を私は見つめたい。

 

ぴーさんのコメントから私自身がどうであったかを振り返ってみることができた。

 

>教団独特の用語には最初から違和感がありました。

私にはこれは無かった。学生時代に出会った為か、学生向きの話は順序が決まっていてある意味勉強のようだった。勉強というものは、新しい用語を覚えるようなものなので、当然今まで知らない言葉で語られていてもそれがむしろ新鮮で、変だとは思わなかった。

ただ、直属の幹部が、元々敬語の使い方などが変だったのが、年数が経つにつれ益々変になっていくのは気になっていた。真似しないようにと思っても、いつも接して常に聞かされていくうちに慣れてしまってそれを変に思わなくなり、自分にも伝染ってしまいそうなのでそうならないよう気をつけていた。うっかりすると使いそうで困った。変な用語でもいつしか慣れてしまい変に思わなくなってしまうところが恐ろしい。

 

>なぜそんな使い分けをしなければ真実の教えを求められないのだろう、と不審に思っていたのですね。

 

これも、私には経験のない感覚である。なぜかと考えると、おそらく自分の場合は、学校や職場で他の”普通の人”との付き合いをしなかった、つまり世間とは断絶をした生活をしてしまったが為に、教団以外の人ともうまく付き合っていくための「使い分け」が必要なかった為ではないかと思う。

 

ぴーさんは、「普通でない」教団の人たちの中で違和感を感じ、「普通でいたい」という思いももっていらっしゃったから、教団に染められていない普通の人をみると自分だけじゃないとほっとされたということでしょう。あのような組織の中においても違和感を大事にされたぴーさんには敬意を表したい。

 

>今思えば、自分自身も含めて、独特の用語を身に着けるという行為自体が世渡りであり、世渡る人ばかりの組織だったと思います。
後生の一大事や仏法への真摯な思いなどどこへ行ってしまっていたのでしょうね。

 

この部分はちょっとまた私の感じたことのないことである。私自身は恥ずかしいことであるがあのような組織でありながら純粋に後生の解決のみを求めていた。他には何も興味がなかったのである。他の人もそうだと思っていた。「組織の中での世渡り」とは何であろうか?また興味があればご自由に書いていただけたら幸いである。

 

 



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